JA/750704c 朝の散歩 - シュリーラ・プラブパーダが語る甘露の滴 シカゴ

JA/Japanese - シュリーラ・プラブパーダからの甘露の滴
"Punaḥ punaś carvita-carvaṇānām (SB 7.5.30) 噛んだものを噛む、それだけです。あなたの感覚は不完全でなのに、何を見るでしょう?何を見ても、それは不完全なものです。では、見ることの意味は何でしょうか?ですから、私たちが見るのはシャーストラ・チャクシャーㇳです。公認の聖典を通して見るべきです。それが私たちの、、、。シュカデヴァ・ゴースヴァーミーの全宇宙の説明の中で、結論として、シュカデヴァ・ゴースヴァーミーは、「これまでのところ、私は聞いたとおりに説明してきました 」と述べています。彼は決して 「私が見たように 」とは言いません。これが必要なことです。私たちは天地創造を信じています。

他の人たちも、キリスト教の人々のように、神が創造されたと信じています。しかし、誰が神が創造しているのを見たのでしょうか?誰が見たのでしょうか?神から聞くだけでいいです。主は「私は創造した」と言いました。それだけで良いのです。しかし、もしあなたが「神が創造されたのを私は見ていないし、神を見たこともない」と挑戦するならば、どうして信じることができるでしょう。神は「私が創造した」とおっしゃるのですから、神を信じる者はそれを受け入れます。では、もう天文台で一度見ることに何の意味があるのですか?「私たちは神を信じるが、神の言葉を信じない」というのが続いています。"

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