JA/Prabhupada 0901 - もし嫉妬がないなら、精神世界にいるということだ。みな試されている



730415 - Lecture SB 01.08.23 - Los Angeles

だから今、我々の感覚は堕落してしまった “私はアメリカ人で、私の感覚は国や社会、国家のために 使われるべきだ” と考えている 偉大な偉大な指導者、本当に多くの事柄で 本音は “私はアメリカ人だから、この感覚はアメリカ人の感覚だ だからアメリカのために使われるべきだ”ということ。インド人もその他も同様に考える だが誰もが感覚はクリシュナのものだということを知らない これは無知だ。知性がない 彼らは差し当たり、これらの感覚は、ウパーディ、 アメリカ人の感覚、インド人の感覚、アフリカ人の感覚と示されていると考えている いや、これはマーヤーと呼ばれている。覆われている だからバクティは "サルヴォパーディ-ヴィニルムクタン(CCマディヤ19章170節) 感覚がこのような指定の悪影響がなければ、それはバクティの始まりだ もし "私はアメリカ人だ。なぜクリシュナ意識を選ぶのか。ヒンズー教徒のものだ”と考えるのは、愚かだ もし "私はイスラム教徒だとかキリスト教徒だ”と考えれば、君は立ち去るだろう だがもし "私は精神的な魂で、至高の魂はクリシュナだ 私はクリシュナの一部だ。だから私の義務はクリシュナに仕えること”と感覚を浄化すれば、 即座に解放されるだろう。すぐにだ 君はもはやアメリカ人でもインド人でもアフリカ人でもない。クリシュナ化され、クリシュナ意識だ。それが必要だ

だから、クンティーデーヴィ―は "フリシーケシャ、親愛なるクリシュナ。あなたは私の感覚の支配者です そしてこの感覚満足のために、この物質的な人生、様々な人生に落ちてしまいました” だからもがき苦しむ抜くほど、クリシュナの母になれるのです なぜならこの物質世界はで、彼女は苦しみに身を置いた。何が言いたいか? デヴァキーもクリシュナの母になるほど、発展していた だがそれでも彼女は困難に身を置いた それは誰によって?兄弟であるカムサにだ だからこの世はそういうものだ。理解してごらんなさい 例えあなたがクリシュナの母や兄弟、近親者になっても、 この世は、個人の関心を妨害するような嫉妬で満ち溢れ、 皆、もめ事を押し付けてくる。これが世間だ みんな。例えそれが兄弟や父であろうと。何が言いたいか? カレナ、カレナは嫉妬という意味だ。この物質世界は嫉妬や妬みで出来ている 私は君を妬む。君は私を妬む。これは我々の本分だ

だからこのクリシュナ意識運動は、これ以上嫉妬や 妬みを持たない者、完璧な人のためのものだ (SB1篇1章2節) 嫉妬や妬む者は、この物質世界に住まう 嫉妬無き者は、精神世界に住まう 簡単なことだ。”私は嫉妬しているか、友や交際者、その他に 妬んでいないか?”と自分で確認すればよい そして私はこの物質世界の中にいる。もし私が嫉妬してないなら、精神世界にいるだろう。と 誰もが試せる。自分が精神的に発展しているかどうかなど必要ない 自分自身で試せる。バクティヒ パレシャーヌバヴォ ヴィラクティラニャトラ シャート(SB11篇2章42節) まさにもし食事していたら満腹か、腹ぺこが満たされたか分かるように 他人に確認する必要はない。同様にもし自身試して、 嫉妬しているか妬んでいたら、物質世界にいる もし嫉妬も妬みもなければ、精神世界にいる そして嫉妬がなければ、クリシュナにきちんと奉仕できるだろう なぜなら我々の嫉妬、妬みはクリシュナから始まった まるでマーヤーヴァーディが "なぜクリシュナは神なんだ? 私が、私も神だ。そうだ”と考えるように